右でも左でも良いのですが、デタラメな論拠は嫌です。憲法談義。 [社会]
憲法改正について議論するのは良いと思います。
それは、自分たちの国のあり方を議論することだからです。
武力放棄の枷を外して
軍事面でも世界に積極的に関わろうと言うのもいいでしょう。
それが「普通の国」とは思いませんし、これまでの日本が培った信頼をなくす
安易な方向転換だと思っているので、賛成はしませんが。
さて、なんでこんな記事を書く気になったかと
ヤフーの個人オーサーの田上さんという予備役自衛官兼弁護士の記事「日米安
保を維持しつつ集団的自衛権を否定することは非現実的である」を読んだから
です。
経歴からどちら側からの記事かは想像がつくのですが、こんな法解釈で良いの
かって感じなのです。
個別的自衛権と集団的自衛権に実質的な差異がないとか
自分の立ち位置に寄せたいがためにしても、乱暴に過ぎるように思うのです。
これは安倍政権も同様なのですが
集団的自衛権が必要だと思うなら、もっと正面から議論すれば良いのです。
護憲側もそうかも知れません。
戦争は嫌だ。から始めるのも良いのですが、そこにとどまってしまっては議論
になりません。
それは、自分たちの国のあり方を議論することだからです。
武力放棄の枷を外して
軍事面でも世界に積極的に関わろうと言うのもいいでしょう。
それが「普通の国」とは思いませんし、これまでの日本が培った信頼をなくす
安易な方向転換だと思っているので、賛成はしませんが。
さて、なんでこんな記事を書く気になったかと
ヤフーの個人オーサーの田上さんという予備役自衛官兼弁護士の記事「日米安
保を維持しつつ集団的自衛権を否定することは非現実的である」を読んだから
です。
経歴からどちら側からの記事かは想像がつくのですが、こんな法解釈で良いの
かって感じなのです。
個別的自衛権と集団的自衛権に実質的な差異がないとか
自分の立ち位置に寄せたいがためにしても、乱暴に過ぎるように思うのです。
これは安倍政権も同様なのですが
集団的自衛権が必要だと思うなら、もっと正面から議論すれば良いのです。
護憲側もそうかも知れません。
戦争は嫌だ。から始めるのも良いのですが、そこにとどまってしまっては議論
になりません。